“漕ぐ楽しさ”を奪わない。Bixpyが自然派に支持される本当の理由
──パドリング派の自分が、Bixpyを「否定しなかった」理由とは
【共感】「あえて電動なんて要らない」と思っていました
私はどちらかというと、いわゆる“自然派”のカヤックフィッシャーです。
沖に出るのも、自分の腕でパドルを漕いで、風を感じながら進んでいくのが好きでした。
エンジン音もなければ、燃料の匂いもない。
その静かでゆったりとした時間が、何よりの贅沢だと感じていたのです。
だから正直なところ、最初にBixpy Jetの話を聞いたときは、
「そんなもの要らないよ」と思いました。
電動で進むって、それってもはやカヤックじゃないじゃん。
釣りに行ってまで、便利さを求めるなんて…って。
ですが、ある日、海上で風に流されてなかなか戻れなかったことをきっかけに、
その考えに少しずつ変化が生まれました。
【課題】自然の中では「楽しさ」と「安全」がトレードオフになることも
あの日も、いつも通り静かな朝でした。
沖の根周りでじっくりとタイラバを巻いていたとき、
潮が変わったのか、気づかぬうちにカヤックがじわじわと流され始めていました。
気づいたときには、予想よりも岸から遠く、風も出てきていた状況。
必死でパドルを漕ぎました。
でも、流れと風に逆らっての復路は、思っていた以上に体力を使います。
何より、「戻れるのか…?」という不安のほうが大きく、
せっかくの釣果も、達成感も、すべてがどこか吹き飛んでしまっていたのです。
この体験を境に、私はこう考えるようになりました。
自然と向き合う釣りだからこそ、“楽しさ”と“安全”のバランスが必要だ、と。
【気づき】電動=ラクをする、ではなかった
ある日、仲間がBixpy Jetを装着したSUPで出艇していたのを見て、
正直少し羨ましく思いました。
風が出ても焦る様子がない。
パドリングと電動をうまく使い分けながら、狙いたいポイントにスッと入っていく。
しかも音も静かで、まったく周囲に違和感がない。
「なんだ、思ってたより“自然”じゃないか」
それが率直な感想でした。
私はずっと、“電動=機械的・人工的”なイメージを持っていました。
けれど、Bixpyは違いました。
**あくまで「自分の釣りをサポートしてくれるアシストギア」**として、そこにあったのです。
【解決】漕ぎたいときは漕げばいい。Bixpyは“選べる自由”だった
思い切ってBixpy Jetを試してみると、その印象は確信に変わりました。
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必要なときだけ電動で進む
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微調整や姿勢保持に使える11段階の速度調整
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パドリングとの併用ができる
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スピードを出さず、あくまで自然に流れるような推進力
つまり、自分の力で漕ぐ楽しさを一切邪魔しない構造になっていたのです。
たとえば、
潮に乗せてゆっくり流しながら釣るドリフト釣法では、
流れすぎないようにBixpyで軽く逆らう。
風で横に流れるときだけ、少しだけ角度を補正する。
そんな使い方ができるから、“電動に引っ張られる感覚”はまったくありませんでした。
【実践】自然を感じる時間が、むしろ増えた気がした
導入後、不思議と以前よりも釣り中に「余裕」が生まれました。
それは体力的なものだけではなく、精神的な安心感からくるものだったと思います。
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「帰りが遠いから、そろそろ戻ろうかな」という心配が減る
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「風が出てきたけど、まあ大丈夫か」と落ち着いていられる
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「ここでもう少し粘ってみよう」という判断ができる
これらはすべて、「いざというときはBixpyがある」という安心感があってこそ。
結果として、パドリングをやめるどころか、むしろ“漕ぐ時間を選べる”ようになったことで、
本来の自然との対話時間が、より深まったように感じました。
【提案】「自然と向き合う」ための、もうひとつの選択肢として
私は今でも、風が穏やかな日はなるべくパドリング中心で釣りをします。
その“漕ぐ心地よさ”を、やっぱり私は好きだからです。
でも、潮が速いとき、予想外の風が吹いたとき、
「帰れるか?」と不安にならずにすむ選択肢があること。
それが、Bixpyが自然派にも支持される本当の理由だと思います。
人の力で進む心地よさと、道具の力で守られる安心感。
そのふたつが両立できるからこそ、Bixpy Jetはただの電動モーターではなく、
“自然と向き合う釣り人”の相棒になれるのです。
今、電動モーターにどこか抵抗を感じている方こそ、
一度その固定概念を手放して、“選べる自然”を味わってみてほしいと、心から思います。